ネタ被り。
どうも。最近、日記で書いた内容を記憶しきれなくなった為、ネタ被りを恐れ、毎回日記を書く前にブログ内を検索かけてから日記を書き始めるKAJISADAです。
流石に7年近くもやってりゃ、日記の量も膨大になるし、歳取りゃ記憶力も衰えるわけで・・・22歳の発言とは思えないですね、はい。
創作の世界ではネタ被りが半ば禁忌のような扱いを受けていたりします。特に二次創作の世界では顕著で、それが偶然にせよそうでないにせよ、叩かれる原因であったりします。
偶然の一致というものは多くないにせよ必ずあるもので、双方とも別に疚しいことをしているわけではないので、私個人としては別に問題視しませんが、大体は片方が折れそのまま筆を折ってしまうまで追い詰められてしまいます。
パクリと偶然の一致というものを見分けるのは難しいです。でも1度くらい被っても問題が無いのではないのでしょうか?
今度は視点を変えて。
ネタという点では、また別に翻案という被らせ方があります。
これは、元々あった創作物に対して追加・補填した上、別の作品として公開する手法です。
もちろん、その作品は何らかの方法で原典となった作品は何かを知らせているし、原典に尊敬の念を持って制作に当たります。(だと信じたい。)
身近な例として、ディズニーを。
ライオンキングにしても、元々はシェイクスピアの要素が多く取り入れられています。
「ライオンキング」はシェイクスピアの「ハムレット」を軸に、
「ライオンキング2 シンバズ・プライド」は「ロミオとジュリエット」をもとに、
そして、「ライオンキング3 ハクナマタタ」は「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ(「ハムレット」の翻案モノとして1967年初演された舞台・90年に映画化)」の趣向を取り入れています(3に関しては私個人の持論)。
そして、シェイクスピアの作品群自体も、過去の作品から題材をとってきたりしているんです。
天下のディズニーやシェイクスピアも巻き込んでマネの連鎖が昔から行われています。
それは歌舞伎にしたって文学にしたって技術にしたって当てはまります。
「オリジナリティ」を追求する現在でも実は生き続いているんですよ。
闇雲に「個性」を追求するだけではなく、すばらしい過去の「モノ」に立ち返ることも必要です。
マネすることは別に悪いことではありません。ただ、昔と比べて、マネする側の姿勢が問われていることは確かなことです。だからといって何でも金で解決しようとするのも非常に疑問ですが。
今回のネタを書いていてふと思い出したちょっとはみ出し話。
高校時代の友人の某君。
敬愛する漫画家某先生(超有名)の作品の掲載誌の読者コーナーにハガキを投稿したら、ハガキが掲載された。しかも掲載された号のセンセの作品のネタと被っているではないか!
そのセンセは、その偶然に喜んで、彼(友人)にサイン色紙を贈ったとさ。
友人は嬉々と私にそのサイン色紙を見せてくれた。「家宝じゃ」と言っていた彼の姿とそのサイン色紙、そしてそのときに「センセ、度量があるなぁ。」と思ったことを未だに覚えています(笑)