「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」と演劇
院試終わった。
まあ、十中八九落ちているので、面接終わったその足でそのまま新宿へ。
東急のミラノ1まで、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を観に。
17時からの回を目当てで行ったのだけど、14時45分に間に合ったのでそのままチケットを購入し、入場。すでに予告は始まっていた。
15時ちょい過ぎから本編開始。
大筋は同じだけど、違うところも多々。
破の予告は必見。
新劇場版の所信表明で庵野総監督は、疲弊する日本アニメ業界・中高生のアニメ離れを憂慮していて、この作品を作り出す決意をしたと書かれている。
分野は違えど、私は演劇離れを心配している人間だ。もっとも、自分自身も実際大学進学するまで舞台なんて数えるほどしか観たことがなかった。そのアプローチ方法として、映像があるし、実際に製作しているところもあるし有効性は認められるのだが・・・先生たちはどうやら理解してもらえなかったらしい(笑)
映像の持つメッセージはとても大きい。まだ登場して100年あまりだが、すでに私たちにとって無視することはできない存在。今見ているこのディスプレイも映像の一種だ。
映像作品も演劇作品も古くなれば生き残りは難しくなる。名作と云われ後世に残る作品はごく一部だ。
さらに性質の悪いことに、映像(実写映画など)のほうが表現手法のサイクルは早い。このサイクルに慣れてしまった私たちにとっては、演劇が余計に退屈な存在に見えてしまう。観たいという人は多いが、実際に足を運ぶ人はごく少数だ。
エヴァが新作を出すまでの12年間、演劇事情も経済と同じく「失われた10年(期間のズレはあるが・・・)」だった。演劇はアングラ以降、表現が多様化しすぎて希薄なものとなっていった。アニメも同じくエヴァショック以降、分野が増えるが画期的な表現は概してあまり出てきていない。こう考えると、アニメはどちらかというと、映像作品としてというより演劇寄りなのかもしれない。
そしてこの数年、演劇は映像を積極的に取り入れ(DVDを作り)はじめ、今回エヴァは今までのアニメの手法から再び脱皮しようと試みている。
正直、今回のエヴァは押井作品のように「こんな技術アルヨ」的な要素も多々認められた。自己満足の産物と斬ってしまえばそれまでだが、問題はそんなことではなく奥に存在する精神的なものだ。観客に面白さを伝え、関係者(業界人)には興味をそそらせ、なおかつ作り手にとっても満足できるものを作るという使命感。だから、比較できる作品をわざわざ作ったのではないだろうか。
この試みが成功するのか、失敗するのかはわからない。が、見守るに足る作品であることは間違いない。
Going my wayはまことに結構だが、これがまとまっても集合体としては輪郭がはっきりしない。脊髄に相当する作品も存在してこそ、分野全体が引き締まって見える。