人は考える葦である。 ば~いパスカル。
前にも書きましたが私の大学生活のテーマは、「まったり」。
さらに最近、「いかにアカデミックじゃないものをアカデミックなものにするか」という生活を送っている。
そんなに学問的じゃないものを、わざと学問に仕立て上げるという作業が楽しい。
26日は、ドリフターズについて延々と発表した。
去年はミュージカルのエリザベートについて発表した。
サブカルなのか、芸術なのか。
ひと月前に発表プランを言ったとき、教授からは「卒業してからでも出来るよ(笑)」といわれたが、新しいものこそ考察するべきだ。
新しすぎては駄目だが、古すぎても駄目だ。新旧問わず現代でも生きているものを研究するべきだと思う。
事実、象徴主義が全盛を振るっていたころの研究書(アーサーシモンズ。厳密にはちょっと後だけど)は今でも大きな権力を持っている。今年、平凡社で文庫化もされた。
学問というものは、民衆と乖離している場合が少なくない。特に演劇というものもそうだ。
別の教授が言っていたが、研究者の目に留まったものが歴史に残る。学識者の世界が、昔の世界のスタンダードだった。いまでも、近代演劇とか言っているけど、一般の人から見れば「演劇=ミュージカル」だったりする場合が少なくない。シェイクスピアもまことに結構だが、自分の目から見ると外("学問"の世界の外)の現状を見て研究するほうに魅力を感じる。
古文教育でも、最新の研究より40年も昔の水準のものしか教えていないらしい。
教育は研究よりも古く、研究は現状より古いor現状と乖離している。
演劇の研究とは言っているが、本当なら舞台よりもTVドラマを研究したほうが良いのかも知れない。
まあ、極論を言ってしまえば、研究なんて研究者の自己満足でしかない極狭いものなのかもしれない。
第一芸術という言葉の定義すら一貫していない。
「研究されてしかるべきもの」なんてあってはいけない。自分の周りはすべて「研究するに足るもの」なのだ。
るーみっくも同じだ。
真面目に考察する方もいれば、純粋に楽しんでいる方もいる。
作者不在で物事を考える。ぶっちゃけた話、作者・関係者に聞けば分かる謎も沢山あるだろう。
くだらないのかもしれないが、くだらなくは無い。
馬鹿らしくもあり、逆に崇高にも感じられる。
深層に根付いていて気づかないものを、見つける。
ブームってその深層が深いものが多い。面白い。
無駄になるかもしれませんが、取るに足らないものから重大な問題まで、一度立ち止まってみて色々考えてみてはいかがでしょうか。新たな発見をしたときの感動は大きいものですよ。
好きなものを一度冷静に考えてみる。それでも好きならそれは本物です。
一貫性のない乱文でしつれ~しました。